独り言⑩~こんにちは、アンチ~

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誰にでもアンチがいる。ましてやSNSなどやって少しでも目立つと、どうしても誹謗中傷する奴らがいる。1億人総評論家時代。

誰でも自分の意見をぶつけてくる。ギター弾いてる動画、MVなど、必ずしょうもないコメントをしてくる奴がいる。「SNSばかりで宣伝して」とか、「下手くそ」など。仕事もそうだろう。少し目立つと、必ず文句を言ってくる奴がいる。同じ行政書士だとしても残念ながらいる。

ではなぜ(大人が)誹謗中傷をするのか?ガーシーへの誹謗中傷を情報開示請求したら、ほとんどが中学生だった事実もあるが、それではなく大人からの誹謗中傷の場合、それは「嫉妬」だ。ジェラシーだ。サイレントジェラシーだ。もう耐えきれない孤独のセレナーデなのだ(X JAPANファンの方、こんにちは) 情けない話である。自分で何も出来ず、またはせず、努力して名前を馳せた人に嫉妬し、叩き、時には死に至らす。

例えば、楽器を演奏している動画に対してアンチコメントする奴らがいる。その時点で終わっているのだ。その動画を上げた人は練習し、動画を編集し、そしてアップロードしたという過程がある。アンチコメントしているやつは何もしていない。しかし文句を言いたい。なぜか?その過程ができないことが悔しいからである (話はそれるが、ギターやドラム演奏している小学生の動画にアンチコメントしてる人って終わってますよね)

そして、アンチが湧いたら喜べばいい。自分は嫉妬されるくらい眩しい人間だと思えばいいのだから。賞賛の方が嬉しいのは当たり前だ。だが、嫉妬されるくらい素晴らしい結果を出していると自分を勇気づけるのもありだと思う。

そんなしょうもない、人のふんどしで何かしようとする人間のために人が亡くなるのは考えられない。あってはならないことだ。だからいつも言うんです。「見なきゃいい」と。見なくていいもの見て、何のメリットがあるのか?彼氏のLINEを見ない方がいいのと一緒だ(それは違うか…) そして見る時間ももったいない。人間、されて一番腹の立つことは無視だ。無視していれば何てことはない、誹謗中傷する側も疲れてくる。無視されて虚無感に襲われる。そうしたらこっちの勝ちだ。見ているのがわかるからアンチは図にのって攻撃を繰り返すのだ。

そもそも一昔前まで、何も成し遂げてない奴が意見を言える場所なんてなかった。例えば、何かを成し遂げたり、結果を出して有名になりメディアに取り上げられて初めて「有名人」として世間にものが言えた。しかし、1億人総評論家時代、アカウントさえ作れば、誰でも意見が言える。中には意見と呼べるのかわからないものもあるが…全てSNSの責任だ。言論の自由なんて…あ、これ言っちゃいけないやつだ…

原点に戻り、何も成し遂げてない、結果を出していない人間の発する言葉になんて無視を決め込んでも何もバチは当たらない。